杏子の日記

算命学☆タロット☆ウチュウジン的つぶやき
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4年前

ふと気づくと4月も半ばを越えている。
神奈川に引っ越して丸4年が過ぎました。5年目に突入しました。さすがに慣れたと思う。こんなにかかるようになったとは、私もヤキが回ったなあ~~

4年前の3月、転勤のため住む家や子供達の学校等を決め、あともう少して引越というある日、長男の高校の入学説明会があったので私と長男でこちらに来て、たまたま出張で合流した夫とさあ家に戻ろうと電車に乗っているときに東日本大震災が起きました。
電車は急停止しましたが左右にぐらんぐらんずっと揺れました。夫が「まずいぞ。もしかしたら電車が動かなくなって家に帰れなくなるかも」と言いました。

夫の言葉通り、なんとか藤沢駅まではいけたもののそのあと全く動けなくなりました。自宅は他県で次男は中学に、娘はまだ4才で保育園にいるのに全然電話もメールも通じず(>o<")なんとか一部のメールが届いて職場の人が私の代わりに保育園に迎えに行って家に届けてくれ、次男は永谷園の煮込みラーメンを作って一晩妹の面倒をみてくれました。
私たちは藤沢の体育館で帰宅困難者の受け入れをしていたのでそこで一晩休むことができましたが、なんとか帰宅できたのは次の日の夕方でした。

本当に困ったのはそのあと。
引っ越す予定の家(賃貸ですが)は当時建築中でもう少しで完成予定だったのに、地震の影響でいつ完成するかわからなくなったと連絡が来ました。バスタブなどが東北のメーカーだったらしく再開の見込みが立たなかったのです。
もう既に学校も保育園も引越業者も手配してあるのに…orz 別の物件を改めて探すか、再開に賭けて待つか。待つ場合は社宅なので会社がどこまでいいというか、あと半月で学校は始まるのに完成までどこに住むのか…

しばらくは毎日そのことばかり考えたり連絡したりで頭がいっぱいでした。地震の被害や原発より目の前の自分たちのことで手一杯。ひでえやつと思いましたがしょうがない。

結局は各方面に色々お願いしまくり、ギリギリまで待つことに賭けました。
不動産屋が持っている近くのアパートを自腹で安く借り、最低限の荷物だけ自家用車で往復して持ってきて4月から住みました。
小さい冷蔵庫だけは買いましたが料理は卓上型IHヒーターで床で作り、5人分の洗濯物はコインランドリーを探して通いました。←結構これがしんどかった。

もう会社が待てない、別の家を探せというギリギリでなんとか家は完成しました。6月末くらいです。ハラハラしたなんてもんじゃなかったです。


引っ越して来たときは地震の直後だったのでしょうがないのですが、買い物に行けばスーパーは暗く物はないし、荷物を前の家から持ってきて夜中帰ると国道の電灯が間引かれているのか道が暗くて怖い。
おまけに派遣で働きだした職場はそこの人と話すことがあまりなく、寂しいスタートでした。神奈川出身の夫に「関東の人は冷たい!」と関西の芸人のようなことも口走りました。少し経つとそんなことなんて全然ないってわかりましたが、その頃はいっぱいいっぱいだったんでしょうね~~


4年たって、ここが自分のホームグラウンドとは思わないけど、まあそこそこ便利だし悪くないじゃんと思うようになりました。
が、それでは終わらない。
この前夫と話したけど、社宅の期限は10年。それ以降は自分で今の家の家賃を払うか自分で別に建てるか次の転勤か。あと6年なんてすぐじゃない?
夫の会社組織自体が変わる噂もある。すぐに動くことはないだろうがその場合は○○県に行くかはたまた××県に行くか。全く予想がつかないのであります。

来年の春はたぶんここにいる。2年後も多分。でも5年後は???小夏は中学生か…息子たちは一緒に住んでいないかも…定年後は夫の実家に戻るつもりだけど、それまではまだまだ不確定要素満載です。

すごろくの上り近くになると「ふりだしに戻る」が出る感じ??
算命でいうと散法タイプですね。
もうこのパターンやめたいと思うときもあるけれど・・・まあしょうがない。
意外と安定な毎日だったらつまらなくてなんか変なことやらかす人でしょうね、私って(笑)
でももうしばらくはここで暮らしたいかな・・・
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